川内川の紹介

 川内川は、九州の熊本県球磨郡上村白髪岳(シラガダケ)(標高1,417m)を水源地とし、宮崎県西諸県(ニシモロカタ)盆地(加久藤平野)を西へ流れ、鹿児島県に入り湧水町、湯之尾滝を経て伊佐盆地(菱刈平野)に至り、支川羽月川を合流し、景勝「曽木の滝」を経て、鶴田ダムの貯水池に流入します。鶴田ダムより下流は鶴田、宮之城の中流狭窄部を経て、薩摩川内市(川内平野)を貫流し、東シナ海に注いでいます。
  その流域は南九州3県(鹿児島県、宮崎県、熊本県)にまたがり、市町村数は、3県合わせて3市3町となります。また、流域面積1,600km2(九州で5番目の広さ)、河川延長137km(九州で2番目の長さ)です。
川内川の名前の由来

「川内川」の地名の由来は、史実等に基づくとおよそ次のとおりとされています。
  『伝説によると天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)が此地に御連座あって「高城千台」を起し、「高城官」を号した。この「千台」を千々の台を築き給へる宮城のことを「高城」及び「千台」といい天孫の宮居を指すものであったが、「世牟田以」「仙台」「千代」と書いた時代もあり、天正15年(1587年)豊臣秀吉が薩摩征伐に来たときの文書には多く「千代川」と書いてある。
  現在の「川内」の文字が初めて文書に掲載されたのは、江戸時代に編纂された島津國史で、この書巻廿九によれば元禄18年(1705年)第20代藩主島津鋼貴の時、幕府の命令により薩隈琉球地圖十二帖を評定所へ提示した図中に「千台」を「川内」と書いてあった。後ち、幕府の巡険使が薩摩へ来た際には「千台」と書かれ一定していなかったが、享保5年(1720年)第21代藩主島津吉貴は元禄地図(薩隈琉球地圖)に従って薩摩記録奉行に命じて「川内」として史籍に記させ、これから一定して「川内」と称するようになった。』

『川内川五十年史』(編集・発行 川内川河川事務所)より
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